川ばた達夫(かわばた たつお)

生年月日

昭和20年(1945年)1月24日近江八幡市池田町に生まれる。

学 歴

八幡小学校卒、八幡中学校卒、滋賀県立彦根東高校卒、
京都大学工学部卒、京都大学工学部大学院修了。

主な経歴

昭和45年(1970年)4月
東レ株式会社入社(研究開発)
昭和59年(1984年)12月
東レ労働組合滋賀支部長
昭和61年(1986年)7月
衆議院議員初当選。以降10期当選。
平成23年(2011年)5月
衆議院永年在職議員表彰。
平成26年(2014年)12月
衆議院副議長に就任。
政  府

鳩山内閣、菅内閣

文部科学大臣兼内閣府特命担当大臣(科学技術政策)

野田内閣

総務大臣兼内閣府特命担当大臣
(沖縄及び北方対策、地域主権推進)兼地域活性化担当大臣

民進党

幹事長、国対委員長、副代表、常任幹事会議長等を歴任
(※いずれも民主党時代)

衆議院

議院運営委員長、安全保障委員長、災害対策特別委員長等を歴任。
衆議院副議長(現在)

趣 味

読書、スポーツ観戦、パソコン、モータースポーツ、壊れたものを直して使う。

初心生涯

皆さまの温かいお支えのもと、ベテランと言われる立場となった今、あらためて強く思うこと。「初心忘るべからず」これは、能を大成した世阿弥の著書「花鏡」に記された言葉で、一般には「学び始めた当時の気持ちを忘れずに」と解されますが、本来の意味は異なり、「初心」とは、芸を身につけるために経験した苦労や未熟さを恥じる気持ちを指し、若いころに苦労して得た「是非の初心」、それに慢心せず芸を研き続ける「時々の初心」、老いてもこれで良いと思わず、常に自分にふさわしい芸を追求する「老後の初心」。この三段階の初心を忘れてはならないと言う意味だそうです。

私も政治家の道を志して三十年。体は元気でも、もう引退か。正直その時期に来ていると、ご指摘をいただくこともあります。しかしながら、経験を重ねるごとに、「出来ること」「やるべきこと」が変わっていく。

今のこの日本の現状、未来を想うとき、「まだやらなければならないこと」誤解を恐れずに言うのであれば、「私だからできること」がまだあるのではないか、その思いを今強く抱いています。今一度「初心忘るべからず」今一度、「誠の心を込めて」、私の出来得る全てを使い、責任を果たしたいと思っています。

川ばた達夫の「力」と「足跡」

第六十六代衆議院副議長に就任(2014年12月24日)

滋賀県選出として初の副議長。その重責に決意を新たに、日々、緊張の連続です。
外国の首脳や議会トップの方々の表敬や懇談、宮中行事への出席、そして何よりも国民に「開かれた」国会の実現のために、これまでとは違った立場で、国のため、国民のために仕事をしています。

一票の格差是正は待ったなし。議長諮問の選挙制度改革調査会の答申を受け、制度改正へ動き出す。
アゼルバイジャン共和国議長の表敬。日本人にとって馴染みのない国からも続々と。あらためて日本への尊敬、信頼、期待を強く感じる。
政府による特定秘密の恣意的な運用を防ぐために、国会の常設機関として情報監視審査会を設置。
衆議院としてノーベル賞受賞者への表祝。長年の研究の成果、私たち日本の誇りです。

内閣の要として、責任ある改革を実行

文部科学大臣として、子どもたちの学びを社会全体で支えるために、先進国では標準である「高校授業料実質無償化制度」を確立。質の高い教育を実現するため、長年の悲願であった「三十五人学級」の実現。
総務大臣としては、疲弊した地方の立て直しのために、地方交付税を増額し、地方が自由に使える「一括交付金制度」の創設、地方のことは地方に任せる「地域主権改革」を断行しました。また沖縄・北方担当大臣として、制度の抜本的改革を行い、省庁の枠を超えて沖縄県に過去最大の増額となった三千億円の予算を確保するとともに、より自由度の高い「沖縄の一括交付金(千五百億円)」を創設しました。
いずれも財政当局との厳しい折衝のなかで、「人への投資」、「地方への投資」、信念を曲げず、決してぶれず、決断と実行力で実現させることができました。

第一次野田内閣にて総務大臣として2度目の入閣
国対委員長、野党結集の要として

党の要として、いつも最前線で活躍

“困ったときの川端頼み”。党幹事長、三度にわたる国会対策委員長、副代表などを歴任。常に、国会の最前線で政府与党の政策を厳しく追及。2009年、念願の政権交代を果たしました。

労働組合時代

執行役員や滋賀支部長を歴任し、働く仲間のリーダーとして活躍。各地での選挙応援を通じて、「一人ひとりの力は小さくても、合わせれば大きな力になる」との思いを強くし、政治の世界に飛び込むことを決意。

動画で見る川ばた達夫の歩み

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