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2章 ☆三つ子の魂、議員まで
 おお〜い、違うぞ違うぞ、「三つ子の魂百まで」と言って、幼いこの性質が老人になるまで一生変わらないものであることを言うのではないか、というご指摘、まことにごもっともです。しかし、川端の故郷近江八幡で育まれたものが、政治家になっても変わらず、また川端も書を求められると、好きな言葉、「初心、生涯」なんて書きますから、まさに最初の思いを大事にする人間です。だから、「三つ子の魂、議員まで」と言わせていただきます。
私がみる川端の魂、それは、『平和への強い願い』『民主主義』『進取の気質と国際性』の三つ。
 この三つ、政治家になろうがなるまいが、川端の魂を貫いている根幹です。しかも、それが幼い頃から育まれたものであることは特筆すべきでしょう。
 まずは、『平和への強い願い』
 それは幼いも幼いまだ母の胎内に芽吹いてからすぐさま出来た魂で、その証拠は世界史、日本史の一大事件がアリバイ証明。というのも、生まれがなんと1945年。思い起こせば第二次大戦の真っ最中。そんな時に妊娠するとは不届き千万などと目くじらたてるより、そんな戦争した愚かさをしかるべきではありますが、戦争真っ只中、しかも将来の予測など全く立たず、賢い人ならこの戦争が暴挙で、きっと敗戦しかありえないという暗黒の時代なのに、川端の両親、「この子に平和の使者を」「どうぞ世界が平和に」の思いを託し、未来に微かな光を求めた愛と平和の希求の結晶。
 そんな川端の出生の時期から、この世代に共通の平和への強い願いは、まさに母の胎内での平和希求の胎教によっています。
 さて、お立会い、近江の国は琵琶湖の東岸、近江八幡が川端の出生地ならば、幼い頃から見て参加してきたお祭りに民主主義の理念が染み付いているのではないでしょうか。
春浅き湖国の弥生三月、町々に紅の赤紙、火のぼりがなびく左義長がそれです。この祭り、女装することで有名ですが、何でも時の権力者織田信長が、自ら南蛮笠を被り紅の絹で顔を隠し、女装をして庶民と一緒になって踊ったことに由来すると言います。あの封建時代でさえ権力者が民衆と一緒になって踊るという祭りの由来を聞き、川端が民主主義の基本が自由平等であることを幼心に感じたことは間違いないでしょう。
さて、お立会い、ここで歌を聴いていただきましょう。

一.漣清き鳰の海 その八景の岸近く
  敷ける教の庭の中 望みあふるる青春の
  健児日毎のいそしみは 邦と民との富の道
二.鵬の翼の延びざりし 鎖国の世にも大八州
  その隅かけて市とせし 父祖にな耻ぢそ東海の
  潮一度舟乗せて 四海にいたる今の時
三.印度の珠玉アラビアの 香も集めん南洋の
  珊瑚琥珀も欧の西 送らん道や幾万里
  潮と共に舟を駆る 貿易風の名もよしや
四.大塊ひとつ日月の 光遍く照るきはみ
  自然と人と相待ちて 万の宝産むところ
  皆わが領と心して 探れ扶桑の国の富

 この高踏勇壮な歌は、川端の故郷近江八幡の名門近江八幡商業高等学校の校歌で、あの明治の詩人土井晩翠が作詞し、明治40年に制定されたものです。また、近江八幡商業高等学校は、川端の父の母校でもあります。
川端が母の胎内に芽生えたころから胎教で聞き、幼くして父や兄の歌う声を聞き、長じて自分も口ずさむことになったこの歌が、彼の進取の気質と国際性を育んできたことは想像に難くないと言えます。
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